杉原祐之句集『先つぽへ』鑑賞。その3
Ⅲ.雛舟(平成十七年~十八年)
尻端折る男の美学神輿舁く
「神輿舁く」が季題で夏。神輿を舁くときの尻端折りを、「男の美学」と言い切ったところが面白いです。尻端折りなどということが絶えて久しい現代なので、「男の美学」もぎりぎりわかるのだと思います。とにかく、感じたことをストレートに表現してあるところは気持ちがいいです。
高層のビルより夕立見下しぬ
「夕立」が季題で夏。視点が珍しいのはもちろんですが、夕立を見るという行為を詠むこと自体が新しいです。「長雨」を「眺め」たり古来雨を見る行為が詠まれたことはありますが、夕立は見る対象ではなかったと思います。外に出なくても大抵の用事は足せて、なおかつ窓から外の景色が展望できる高層ビルにいるから、こんな気になったのでしょう。自然に左右されない現代の生活が生んだ気分だろうと思いました。
下五は「みおろしぬ」とも「みくだしぬ」とも読めますが、「みおろしぬ」と読んだ方が客観的で良いでしょう。「高層のビル」はややもたついているので、「高層ビル」と言ってしまいたいところです。あるいは、「超高層ビル」という言い方も考えられるかも知れません。
相席の鬼灯褒めて神谷バー
「鬼灯市」が季題で夏。「鬼灯」が季題と解釈すれば秋の句になりますが、一句の気分にはどことなく夏の感じがあります。浅草の「神谷バー」に行ってみると、ちょうど鬼灯市が開かれていて混雑していたのです。相席ならということで通された席の先客は鬼灯市帰りと見えて、脇に買ってきた鬼灯の鉢を置いています。挨拶にそれをちょっと褒めて、テーブルについたというのです。楽しい場面を想像させてくれる俳句です。
惣領として大いなる墓洗ふ
「墓洗ふ」が季題で秋。「第二回日盛会 五句」のうちの一句。家を継ぐ長男として一家の墓を洗ったというだけのことですが、「惣領」と「大いなる墓」とが釣り合ってがっしりした俳句になっていると思います。「惣領」というのはやや大げさですが、墓を洗うことで芽生えた自覚が表現されています。同時に、自分の継ぐべき家を「大いなる」と感じたのです。
祐之君の俳句には、「大きい」「小さい」がよく出てきますが、この「大いなる」には力があると思いました。
空稲架に射し込んで来る夕日かな
「稲架」が季題で秋。「近江今津 三句」のうちの一句。刈り取った田圃に竹竿などを組んで稲を掛けておくのですが、もう稲は取り払われていて組んだ竹竿だけが残っているのです。そして、夕暮れとともに傾いた日が「空稲架」の下に射し込んできたという句です。いかにも晩秋の夕暮れの物寂しさが感じられ、落ち着いた仕上がりの良い句だと思います。
川底の色に成り果て鮭死ぬる
「鮭」が季題で秋。故郷の川を遡ってきた鮭は、産卵を終えると間もなく死んでいきます。その様子を、すっかり「川底の色」になってと詠んだのです。では、どういう色かというと難しいですが、小石や川砂の白っぽいような色と鮭の死骸のふやけて白くなっている色とを言っているのだと思います。「川底」という表現には、土に還るということが暗示されているようです。なかなか深みのある句です。
尻端折る男の美学神輿舁く
「神輿舁く」が季題で夏。神輿を舁くときの尻端折りを、「男の美学」と言い切ったところが面白いです。尻端折りなどということが絶えて久しい現代なので、「男の美学」もぎりぎりわかるのだと思います。とにかく、感じたことをストレートに表現してあるところは気持ちがいいです。
高層のビルより夕立見下しぬ
「夕立」が季題で夏。視点が珍しいのはもちろんですが、夕立を見るという行為を詠むこと自体が新しいです。「長雨」を「眺め」たり古来雨を見る行為が詠まれたことはありますが、夕立は見る対象ではなかったと思います。外に出なくても大抵の用事は足せて、なおかつ窓から外の景色が展望できる高層ビルにいるから、こんな気になったのでしょう。自然に左右されない現代の生活が生んだ気分だろうと思いました。
下五は「みおろしぬ」とも「みくだしぬ」とも読めますが、「みおろしぬ」と読んだ方が客観的で良いでしょう。「高層のビル」はややもたついているので、「高層ビル」と言ってしまいたいところです。あるいは、「超高層ビル」という言い方も考えられるかも知れません。
相席の鬼灯褒めて神谷バー
「鬼灯市」が季題で夏。「鬼灯」が季題と解釈すれば秋の句になりますが、一句の気分にはどことなく夏の感じがあります。浅草の「神谷バー」に行ってみると、ちょうど鬼灯市が開かれていて混雑していたのです。相席ならということで通された席の先客は鬼灯市帰りと見えて、脇に買ってきた鬼灯の鉢を置いています。挨拶にそれをちょっと褒めて、テーブルについたというのです。楽しい場面を想像させてくれる俳句です。
惣領として大いなる墓洗ふ
「墓洗ふ」が季題で秋。「第二回日盛会 五句」のうちの一句。家を継ぐ長男として一家の墓を洗ったというだけのことですが、「惣領」と「大いなる墓」とが釣り合ってがっしりした俳句になっていると思います。「惣領」というのはやや大げさですが、墓を洗うことで芽生えた自覚が表現されています。同時に、自分の継ぐべき家を「大いなる」と感じたのです。
祐之君の俳句には、「大きい」「小さい」がよく出てきますが、この「大いなる」には力があると思いました。
空稲架に射し込んで来る夕日かな
「稲架」が季題で秋。「近江今津 三句」のうちの一句。刈り取った田圃に竹竿などを組んで稲を掛けておくのですが、もう稲は取り払われていて組んだ竹竿だけが残っているのです。そして、夕暮れとともに傾いた日が「空稲架」の下に射し込んできたという句です。いかにも晩秋の夕暮れの物寂しさが感じられ、落ち着いた仕上がりの良い句だと思います。
川底の色に成り果て鮭死ぬる
「鮭」が季題で秋。故郷の川を遡ってきた鮭は、産卵を終えると間もなく死んでいきます。その様子を、すっかり「川底の色」になってと詠んだのです。では、どういう色かというと難しいですが、小石や川砂の白っぽいような色と鮭の死骸のふやけて白くなっている色とを言っているのだと思います。「川底」という表現には、土に還るということが暗示されているようです。なかなか深みのある句です。
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