杉原祐之句集『先つぽへ』鑑賞。その5

Ⅴ.「土に引つ張られ」平成二十年
旧正の福の字鎧ふ金の糸
 「旧正」が季題で春。「北京 三句」の一句。華僑も含めて中国人は、春節といって旧暦で正月を祝います。その飾りに「福」という字が金の糸で鎧うかのように刺繍してあったという句。そうは言っていないですが、布地の真っ赤な色が見えてきて、金糸とのコントラストが見事です。
 「旧正の」とつなげるか、「旧正や」と切るか、どちらも出来そうな気がします。「の」の方が正月飾り自体に焦点が当たって写生的ですが、「や」として「旧正」全体の雰囲気を強く打ち出すのも良いような気がします。さらに、「旧正」と言うか、「春節」と言うかという問題もあります。「春節」と言った方がストレートですが、「旧正」と言えば読者に日本の旧正月とのギャップを味わってもらえます。これだけでも4通りに表現できますが、「旧正や」で切ることで日本と中国の二重映しをするか、「春節の」とつなげてストレートに景を描くか、どちらかかなあという気がします。

除雪車の隊伍を組める滑走路
 「除雪車」が季題で冬。滑走路の雪かきをするために、数台の除雪車が横並びに連なって作業にあたっているという光景。朝一番の便が飛び立つ前の、まだ真っ暗な中での作業かも知れません。雪の中、唸りをあげて粛々と雪かきをする様子は、何とも頼もしいものだと思います。「隊伍」という表現によって、引き締まった句になっています。

携帯の基地局ぬつと山笑ふ
 「山笑ふ」が季題で春。里に近い低山なのでしょう、頂に不釣り合いに高い携帯電話の基地局が立っているのです。そんな山にも、たなびく霞のぼかしがかかったり、山肌には花の色がちらほら見えたり、いかにもうららかであるという句です。「携帯の基地局」と具体的に言ったことで、それとの比較で山のサイズや在処がはっきりしたと思います。本井英先生が擬音語、擬態語の達人で、この句の「ぬつと」にもその影響がありますが、ぴたりとはまっていると思います。

懐に死亡届や花の冷え  
 「花の冷え」が季題で春。「祖父死去」と詞書。お祖父さまを亡くして、悲しむ間もなく葬儀の手配などをしている中で、役所に出す死亡届を預かって外に出たのです。花の頃と言っても今日はやけに冷えていて人通りも少なく、家族、親戚の輪から離れてみると、お祖父さまの死がいやでも実感されてしまうということです。「懐に」のところに、情が滲み出ています。

微風や代田鏡に皺生れ
 「代田」が季題で夏。微風が吹いてきて、代田の鏡のような水面に皺が生まれたという句。「微風や」の切れが何とも清々しく、「代田鏡」と一語にしたところに静けさが感じられます。

筍を掘りに縦列駐車かな
 「筍」が季題で夏。住宅地からそう遠くないところに、開発が中断されてそのままになっているようなところでしょうか、筍を掘っても構わない竹林があるのでしょう。近所の人にはよく知られた場所で、シーズンになると車で乗り付けては筍を掘っていきます。土日ともなると、縦列駐車をしなければならないほどに混雑しているというのです。どうも、小さな子供を連れた家族連れよりは、定年前後の団塊世代が多いような気がします。21世紀の郊外の点景を描いていて、面白い句だと思います。

虫売の義足を直しゐたりけり
 「虫売」が季題で秋。道ばたに虫籠を並べて売っている男が、義足の少しの不具合を調整しているのです。あまり客も来ないのでしょう。義足になった事情、そして虫売をしている事情は、読者の想像にゆだねられています。私は、「虫売」という季題の淋しさから、戦争で脚を失ってしまったのではないかという気がしました。日本だとすると、50年くらい前にはこんなことがあったのかも知れません。
 静かな句ですが、「直しゐたりけり」は、「直しをり」くらいに縮めた方がより淋しいかとも思います。

三方を森に囲まれ蕎麦の花
 「蕎麦の花」が季題で秋。蕎麦は寒くて痩せた土地でも短期間で収穫できるので、高地などで栽培されています。この句は、三方を森に囲まれている狭い平地に真っ白な蕎麦の花が咲いているという景色を詠んでいます。かなり単純化して景を叙していますが、却って普遍的な蕎麦畑の様子が描けているのではないかと思います。

青楼の傍のマンション布団干す
 「布団」が季題で冬。吉原の傍にマンションが建っていて、ベランダに布団が干してあるという句。題材は珍奇ですが、昔郊外にあった遊里が現代の乱開発に呑まれてしまった様子を写真で見るようです。
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